新・人間革命第25巻と考えたこと
こんにちはあっくんです。先日、Webデザイナーの職業訓練を修了しました。訓練期間中に、就職を勝ち取る予定でしたが、結果は採用ゼロです。150社ほど応募して、面接5社(正社員1社、アルバイト4社)40歳を超えて未経験でWeb業界に入る厳しさを痛感しています。引き続きWeb業界の転職に挑戦しながら、Web業界以外でも探してみます。
今回は新人間革命第25巻と考えたことです。
文章の引用と考えたこと
戦い続ける人が幸福なんです。その人が人生の勝利者なんです。
自分ととことん戦っていく。すぐに流されて、ゆるい、甘いところに行ってしまいます。
ともあれ、一人のために、どこまでも足を運び、仏法を訴え、励ましぬいていくーそれ以外に、広宣流布の全身はない。
信心に励むこと事態が親孝行になるのだ。
ウィリアム・オスラーは「戦い抜く価値あるもので、障害のないものがこの世にありうるだろうか」
広宣流布とは、互いの幸せを願う民衆の連帯の広がりである。
人間は、目と目を見合わせ、腹を付き合わせて語らんと、本当のとこはわからんばい。
お会いして、初めて心が通じ合いますね。どこまでも謙虚に人を大切にする振る舞いをしていきます。
人間を育てるのは結局は、人間性のぬくもりなんです。
”指導というのは、慈悲なんだ。同苦する心なんだ。確信なんだ。その生命が相手の心を揺り動かし、勇気を呼び覚ましていくんだ。”
自分も相手も勇気を呼び覚ましていく。人の痛みに寄り添う心は、自分自身にできること。ここからやっていくぞー。
シェークスピア「慢心は人間の最大の敵なのだ」
どこまでも謙虚に、自分を律していくこと。
人が見ていない時に、何をしているかに、その人の本質が表れます。
本来の姿が表すのだと思います。
広宣流布に生きるとは、大きく利他の翼を広げることだ。そして、使命の大空に羽ばたく時、自身の境涯の飛躍があるのだ。
本当の幸福は、自分で創り上げていくものだ。誰かから与えられるものではない。自分の外に求めた幸福は、時とともに、いつか、崩れ去ってしまう、束ノ間の幸福である。
自分がどうしていくかは、選択して行動ができます。周りの人に影響を与えることはできますが周りの人を動かすことはできないです。じゃあ、自分のすることは何を持って幸せなのか自分がどうしたいかを考えた時に出てきます。
読んでいただいて、ありがとうございます!自分も周りの人が幸せであることをいつも思っています。