あっくんブログ Written by Akihiro Tsuji

新・人間革命第26巻と感想

新人間革命 読書

こんにちはあっくんです。昨日ランニングを行きはじめたところ、左足のふくらはぎを痛めました。走れないくらいの痛さで自分の老化を痛感しているのと、ストレッチ等のケアを普段やっていないと実感しました。今日はいつもどうりバーピージャンプをしましたが、着地を右足でして心拍数を上げました。運動できないのは僕にとってメンタルや脳の活性にダメージが大きいですができるトレーニングは腕立て伏せ、腹筋等をやってみます。普段、当たり前のように歩けたり、手を動かせたりしているのが怪我をすることでホンマにありがたいと感じます。痛みは自分の心を広くできるのかもしれないですね。今回は新・人間革命第26巻と感想です。

引用と新・人間革命第26巻と感想

リーダーにとって大事なことは、普段、なかなか会えない人のことを考え、励ましの手を差し伸べていく努力である。光るの当たる人より当たらぬ人に、湖面よりも水面下に眼を凝らして、皆を人材に育てげていくことこそ、リーダーの使命である。

自分もそうですが、光の当たらない人の方がきっと多いと思います。そういう人を輝かせる存在でずっといたいですね。

励ましのために身構える必要はない。”幸せになってほしい”との、ほとばしる一念の発露が、自然に励ましとなるのである。

幸せになってほしいとのほとばしる一念、それで振る舞いが全部変わっていきそうです。

功徳とは、何があっても負けない、強い自分になること。そして”生きていること自体が、楽しくて、楽しくてしょうがない”という境涯になること。さらに、人の幸せを願い、幸せへの確かな道を教えてあげることができる、歓喜の人生をおくることですよ。

断じて使命に生き抜こうとする一念が、人間を強くする。他社のために、何かをなそうとする時、生命の底から、滾々と力が湧くのだ。

自分の使命とはの問いから、自分は一体何ができるのかという所にたどり着きます。生かされた人生にこの生命をささげて、人の生命を少しでも守りたいです。

求道の人には歓喜がある。歓喜のある人には、苦悩を克服する勢いがある。

”人を頼るな!自分が汚れることを厭うな!同志を大切にし、励ますのだ。それが学会の幹部じゃないか!”

自分が率先して、行動。恥もプライドもなにもない。ただ人が尊いという一念です。

”折伏精神”とは、友人、知人に、自分に連なるすべての人々に、あらゆる苦悩に打ち勝つ道を、崩れざる幸福の道を教える慈悲の心である。何者をも恐れず、仏法の正義を貫く勇気である。我が生命を磨き鍛え、一生成仏、人間革命をめざす求道、向上の情熱である。

自分が仏法を伝えて、自他ともに苦悩を乗り越えていけます。

一切の学会活動は、広宣流布、立正安国をめざすものであり、それは、仏の使いとしての菩薩の行である。ゆえに、地涌の菩薩の魂である”折伏精神”を燃え上がらせるのだ。

真の仏法者とは、自らが本来、仏であると確信している人である。一切衆生が仏であると信じる人である。仏法で説く、生命の因果の法則を、我が信念としている人である。それゆえに何ものをも恐れず、それゆえに人を敬い、それゆえに喜々として労苦を担い、信心は即人格となって輝きを増す。

自分が仏であると確信し、周りの人も仏であることを信じています。尊い生命の元で、人格を磨く必要があります。

組織というのは、何かを行う時、どこかで”線引き”ををしなければならない場合がある。大切なのは、該当しなかった方々への心配り、迅速な励ましを、リーダーは決して忘れてはならないということです。それを忘れれば、組織主義に安住してしまい、早晩、組織から、人間性は失われ、冷ややかな完了主義に陥ってしまうことになる。伸一は、そのことを深く憂慮し、断じてそうはさせまいとの思いで語ったのである。

優劣の決定はルールで決められて社会では成り立たっています。優劣の変動は人間の変動によるものだと考えられるので、人の根底にある心をしっかり見極めれる自分でいることを死ぬまで続けていこうと思います。

誠実であるために何が必要かー今日は2点だけ申し上げます。それは、まず、人の利点を生かそうとする努力を続けていくことです。”人の利点を常に生かそう”という一念があれば、すべての人の長所、素晴らしさがん見えるようになり、尊敬の念も生まれる。称賛や励ましの言葉も出る。また、後輩を生かそうと、成長を願っているリーダーの真心は、伝わるものだ。「2つ目に、約束は必ず守ることです。これは、人間として当然のことですが、幹部として多忙になると、”約束を守れないことがあっても仕方がない”と、思うようになってしまうことがある。それは、間違いです。もちろん、さまざまな事情が生じて、どうしても約束を果たせないこともあるでしょう。その時にどうするかです。相手が”ここまでしてくれるのか”と、何倍も喜ぶような、補ってあまりあることをしていくんです。」

誠実は人の利点を常に生かすこと。約束を守ること。自分の汚れなき大我の一念を持って日々とりくんでいきます。

みんなに、絶対に幸せになってもらいたいという一念です。

”感謝”ある人には”歓喜”がある。そして、燃え立つ歓喜の生命こそ、挑戦、前進、勝利、幸福の活力源となるのだ。

信心は持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは、惰性です。”さあ出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心です。

昨日と同じことすらできないこともあります。ホンマに自分がいかに甘いか最近痛感します。

今、何をするかですよ。時は決してまってはくれない。今、立つんですよ。

今、自分の心は自由に変化ができますね。何事も全力でやってみます。

人生の勝利は、持続の信心の中にこそある。そして、当面の課題、戦いに、全力でぶつかり、今を勝つことです。それによって、自分の苦悩を一つ一つ乗り越え、自分の境涯を開いていくことができる。すべての広宣流布の活動は、自分が幸福になり、人生に勝利するためにある。苦労した分は、すべて自分の功徳、福運となっていくんです。

人間を無力にしてしまうものは、”もう駄目だ”というあきらめにある。そえは、自らの手で自分に秘められた可能性を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の原因である。信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を登らせゆく力である。

”苦労を避けよう。少しでも楽をしよう”という考え、行動が習性化してしまうと、挑戦への勇気が失われ、前進も向上も成長もなくなってしまう。そこから欲するのは、保身の腐臭である。すると、周囲の信頼も、尊敬も失われ、人は離れていく。

自分が率先して大変な中に入っていく。自分の周りの人はそういう人が多い気がします。泥臭くても、地道にやり抜く己でやっていく決意です。

日蓮大聖人「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲がれば影ななめなり」

仏法が根幹となって自身を形成しているのは日々実感しています。自分の振る舞いの根幹が信仰で成り立っているの本当に感じます。

未来は「今」にある。勝利は「今」にある。

自分のみならず、周囲の人々も、共に幸せにならなければ、自身の本当の幸せはない。

人の不幸を幸せに感じることが人間には本質的に備わっていると、最近そういうことを書いている本を読みました。だからこそ、人の不幸の上に幸せを気づかない自分を構築する訓練は必要であると改めて気づきました。

強く生きていく上で必要なのは勇気です。人生のあらゆる局面を左右するのは、勇気があるかどうかであると言っても過言はありません。その勇気の心を磨いていくのが、信仰なんです。学会活動なんです。

勇気の出す場面は本当に多いと思います。僕は、自分の意見を伝える時に相手にどう思われるか、傷つかないかなと感じます。相手を思った上で、フォローもする心で伝えていくことが大切だと思います。僕の身近な人で2人自殺していきました。本当に人間はもろく弱いです。心が傷ついた成れの果ては、身体を傷つけて、それを消滅させて身心を消失させていきます。人は生きることが苦しいと感じてしまう心がある。だからこそ自分の痛みに他人の痛みに寄り添う、感じる心は常にもっていようと決意しています。ここから、更に己を心身ともに磨く必要があります。

読んでいただいてありがとうございます!