新人間革命第28巻の感想①
こんにちは、あっくんです。最近、嵐のコンサートの映画に行ってきました。改めて、嵐が凄いことがよくわかりました。嵐の凄いところは、いっぱいありすぎるのでまた文字に起こしてみます。今回見に行った映画館はドルビーシネマという仕組みで、映像と音響が通常の映画館よりパワフルになっている感じでした。スピーカーが至るところに埋め込まれているみたいです。映像はすごくきれいでしたが通常の映画館との違いは僕にはよくわかりませんでした。ただ、実際にコンサートに居る時の雰囲気に近いのかなって、思いました。
引用と新人間革命第28巻の感想①
トルストイ「自らより善くなり、世界をより善くする、これが人間生活の任務である。」
リーダーは、団結の要である。そして、団結は、リーダーへの、”あの人は、私達のことをここまで思ってくれているのか”という、信頼と共感のうえに成り立つのだ。
共に戦う人に寄り添いともに悩み、歩んでいく自分になるために日々自分をみがくしかないです。
励ましは、人を組成させ、心と心を結び、社会を活性化させていく草の根の力となる。
個人主義の風潮が強い現代社会にあっては、人は他社との関わりを避け、自分の殻に閉じこもりがちになる。その結果、人間の連帯が断たれて、孤独化が進んできた。そうした中で、他者の幸福を願い、積極的に関わろうとする学会員の生き方こそ、人間を結び、蘇生させ、社会を潤す力となろう。
燃える心には、冷たい仕打ちも苦ではない。
幹部は、最も皆が苦しんでいるところへ、自ら真っ先に足を運んで激励するんです。幹部に、その姿勢がなくなれば、それは、もはや官僚主義であり、組織は崩れていきます。
率先して、最前線にでることで後ろの人を守れるのではないでしょうか。ただ、前に出るには勇気がいつも必要であると感じます。
人の心は、ともすれば揺れてしまうし、混沌とした時代の行方は見えない。しかし、偉大な法に立脚するならば、人もまた、偉大な力を発揮していくことができる。どこまでも根本は法である。だが、その法を説き、教えてくれる人がいなければ仏法はない。
揺れに揺れる心。その心を揺らすのも自身の心。心身共に磨き鍛え続けることでなんとか、人間らしく存在できそうです。
皆さん、”いよいよ”ですよ。長いこと信心をしてきたから、”ほどほど”でいいなんていうことはないんです。”さあ、これからだ!”また、新しい挑戦をしよう!”生涯、前進だ!”というのが、信心であり、仏法者の生き方なんです。そこに、生命の躍動があり、歓喜があり、幸福があるんです。いかに年をとろうが、青春の人生があるんです。
ここから、一ミリでも前に進んで行きます。まだまだ、これからやと思って進んでみます。
「感激」できる人は、何事にも感謝していける、清新で謙虚な、豊かな生命の人です。反対に、傲慢で、人がなにかしてくれて当然であると考えている人には、「感激」はない。
謙虚な心、人の尊さを感じると感激がほとばしる気がします。
そして、家庭、地域、職場にあって、皆さんご自身が、「太陽」の存在であっていただきたい。友の悲しみの窓辺を照らし、周囲の人々に、歓喜の光を、勇気の光を、希望の光を送り続ける、励ましの人であってください。日蓮仏法は太陽の法門です。ゆえに、私たちも太陽の存在であらねばならない。
周りの人を太陽のように温かくつつみ、照らしていける自分になっていくように自分を磨く戦いをしていきます。
受け身ではなく、自ら積極的に、戦いをおこしていくなかに、歓喜が生まれます。
自分が何をしたら、興味を持てたり、問題を解決したり、楽しめるのかまず自分の頭で考えることをする必要があると思います。
人間はともすれば自分の考えや感情に執着するあまり、”小我”の世界に閉じこもってしまう。広宣流布の大使命を自覚し、そのために同志と団結していく時、”小我”の殻は破られ、”大我”が開かれる。その時、自己の個性もまた、大きく輝かせる事ができる。広宣流布のために、同志と心を合わせ、協調することは、小さな自分を脱皮し、大境涯を傷移築、跳躍台となるのだ。
自分で自分を小さくしてしまうことを感じます。周りの影響の前に、自分を深く見つめることから、今何が必要なのか見えてくる気がします。自分が何をしたいのかどうしたいのか、それができるのか、考え行動するなかで己が磨かれていくと信じています。
読んでいただいてありがとうございます。